〈MiRAi〉広報紙MiRAi11月号を発行しました。

こんにちは、秋も深まり街も色づいてきました。実りの季節、自然の恵みに感謝ですね。さて、広報紙MiRAi11月号を発行しました。

 

名張育成会は、10月で創立60周年を迎えました。今月は、名張育成会のDNAを物語る象徴的なエピソードと、代表して5名の職員にそれぞれの思いを語ってもらいました。今回は、その中の一部を抜粋してご紹介します。

また、広報紙MiRAi最新号は、右のリンクボタンからもご覧いただけますので、併せてご覧ください。

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『「先駆性」というDNA。』

 法律や制度がなかった時代に、「道を開く」という強い思いで作られた名張育成園児童寮が私たちの起源。昭和33年、まだ法制度化されていなかった18歳以上の自立支援も行う児童・成人一貫施設を、既成事実をもって必要性を国に訴えようと、紆余曲折の末に開設しました。

また当時の法律によって、重度の児童入所施設にはフェンスが巡らされていました。しかし、先輩方は大論争の末フェンスを取り払うことにしたそうです。ノーマライゼーションという考え方がまだ日本に定着していない時代に、障害の重い人も軽い人も一緒の部屋で暮らし、育ちあおうという共生の理念が、驚くべきことに当時の現場で生まれていたのです。

平成に入ると、日本でも「自立とは何だろうか」ということが問われ始めました。平成12年に地域移行先進国のアメリカを視察した上村前理事長は、即座に「よし、入所施設から地域に送り出していこう!」と、国の制度も十分でない時代にグループホームの整備に乗り出し、それが今の礎になっています。

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昭和61年3月、成峯寮となった旧児童寮園舎前での集合写真。この建物は、平成13年3月移転増改築するまで、「先駆性」の象徴として育成園の歴史とともに歩み続けてきました。グループホームくおーれ 村田孝さん提供)

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『通所更生施設の立ち上げ』原田明政さん(昭和63年入職・現ゆーゆ所長)

今日では、日中活動の場と寝食をする住居を分ける職住分離の考え方は普通になっていますが、当時はまだまだ浸透しておらず、法人内でもずいぶん議論しました。しかし、働きたくても働けない人たちが家から通ってアクティブに活動する場を作るために、通所型の事業所の独立を目指しました。

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昭和63年9月、原田所長入職直後に行ったぶどう狩り。グループホームくおーれ 村田孝さん提供)

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食が大切という考え方』中野厚子さん(昭和53年入職・現食事課課長)

名張育成会はずっと「食はとても大切」との考えから、専門職(栄養士)を置いて、様々な新システムを早くから導入してきました。現在は、利用者さんの幅が広がり、アレルギー食・えんげ困難な方の食事、常食、治療食と幅広く食事を提供しています。これまで培ったものや、導入されたシステムがあることで、個別対応に力を注ぐことができ、栄養士として喜びを感じています。

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昭和63年3月に撮影された成峯寮の食事風景。グループホームくおーれ 村田孝さん提供)

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『寄り添う支援へ』中居千津さん(昭和60年入職・現ききょうの家所長)

当時はまだ「措置」の時代。利用者さんに言うことを聞いてもらうというスタンスで、ずっとなんか違うなと感じていたのを、職員の意見によって「寄り添う支援」に変わっていきました。雑魚寝から脱却しプライベートを確保するという考え方の変化から新しい建物ができました。これが今の成美になるのですが、真夏に手で運ぶ引っ越しは大変で今ではいい思い出です。

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昭和59年10月頃におこなった体育祭での仮装行列グループホームくおーれ 村田孝さん提供)

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『「指導」から「支援」へ』福川佳代さん(昭和62年入職・現ワークプレイス栞主任)

入職当初、利用者さんは職員のことを「先生」と呼んでいました。「生活の場所で先生って変よね」と違和感を感じるようになり、「先生と呼ぶのはやめよう」とその頃の職員で声をあげていきました。当時三重県下でもまだ慣例に声を上げる施設はなく、園内でも賛否両論ありましたが、職員をさんづけで呼ぶように定着させていきました。今ではそれが全国的にもスタンダードになっています。

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大きい和室当時の児童寮。職員も添い寝をして一緒に暮らした。(ワークプレイス栞 福川佳代さん提供)

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『法人理念の思いにふれ』竹村恵子さん(平成17年入職・現みはた虹の丘保育園園長、理念研修担当)

私自身、私たちの中で絶えず中心におきたい「理念」について、改めて一言一句を噛みしめてみると、その奥の深さに驚きの念を隠せません。この60周年を機に、メッセージの奥にあるもの、本当のメッセージは何かを想像し、名張育成会職員としてDNAとともに肌で感じ、理念を自分自身の糧としてどう支援に活かすかということを、これからも皆さんと一緒に議論し実践していきたいと思います。

www.n-ikuseien.jp